前田日明は、本当にただの「ヘタクソ」だったか……ベテランプロレス記者が読み解く『1984年のUWF』

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『1984年のUWF』(文藝春秋)

 文藝春秋より刊行された単行本『1984年のUWF』が、かつてUWFのファンだった人を中心に話題を呼んでいるという。

 著者はスポーツ雑誌「Number」(文藝春秋)の元編集者で、フリーライター転向後、『1976年のアントニオ猪木』(同)、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(同)、『1993年の女子プロレス』(双葉社)、『1964年のジャイアント馬場』(同)などを執筆した柳澤健氏。

『1984年のUWF』は、序章=北海道の少年(中井祐樹)、第1章=リアルワン(カール・ゴッチ)、第2章=佐山聡、第3章=タイガーマスク、第4章=ユニバーサル、第5章=無限大記念日、第6章=シューティング、第7章=訣別、第8章=新・格闘王、第9章=新生UWF、第10章=分裂、終章=バーリ・トゥードから構成され、全411ページとかなりのボリュームだ。

 同書は後のプロレス界、格闘技界に多大な影響を与えたプロレス団体UWFが設立された経緯、内情、分裂のいきさつや、佐山聡(初代タイガーマスク)が設立したシューティング(後の修斗)の成り立ちなどを克明に記している。

 ちなみに筆者は、当時の事情を知る元プロレス専門誌の記者であるが、この本で著者がどのようなことを訴えたかったのかを知りたく、興味深く拝読させていただいた。

 UWFというプロレス団体をよく知らない方のために書いておくと、第1次UWF(ユニバーサル・プロレス)は、新日本プロレスを追われた“過激な仕掛け人”新間寿氏(元新日本プロレス専務取締役営業本部長)が中心となって設立され、1984年4月11日、埼玉・大宮スケートセンターで旗揚げした。当初は既存のプロレス団体の域を出なかったが、後に佐山が合流したこともあり、“格闘スタイル”を全面に押し出して、プロレス界に新風を吹かせた。佐山のほか、前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦(現・延彦)、山崎一夫らが在籍した。だが、85年9月に経営難のため活動停止。

 佐山を除く、残った選手たちは、プロダクション化して、新日本と業務提携を結び、同団体のリングに上がることになる。両軍によるイデオロギー対決は注目を集めたが、新日マットで始まった世代抗争にUWF軍も巻き込まれる格好となり、だんだんUWF軍の存在自体も、その闘いのスタイルも形骸化していく。

 そんな折、87年11月19日、後楽園ホールで行われた6人タッグ戦で、サソリ固めを決めた長州力をカットしようとリングに入った前田は、防御できない状態で長州の顔面を蹴って、右前頭洞底骨折及び前頭骨亀裂骨折の大ケガを負わせた。「故意に相手にケガをさせるような攻撃を行った」として、前田は無期限出場停止処分を下された。アントニオ猪木には前田を救いたい意向もあったが、翌88年2月に前田は解雇処分となった。

 これを契機に、UWF再興への動きが始まり、同5月12日、前田、高田、山崎、そして若手選手らが決起し、第2次UWF(新生UWF)が後楽園ホールで旗揚げした。第2次UWFは、第1次時代の“佐山ルール”をベースに、格闘スタイルを推し進め、既存のプロレスに疑問を感じていたファンを熱狂させ、一大ムーブメントとなった。89年には新日本から藤原、船木優治(現・誠勝)、鈴木実(現・みのる)を引き抜き、大阪球場や東京ドームにも進出し、大成功を収めたかにみえた。しかし、経営面ではひっ迫して下降線をたどっており、フロントと選手間に摩擦が起きる。その結果、90年12月には両者間に大きな亀裂が入り、選手は一致団結をアピール。神新二社長は所属全選手を解雇し、第2次UWFはあっけなく終焉を迎えた。その後、前田が中心となり、新団体設立に動いたが、一部の若手選手が反発したため、前田は解散を宣言。第3次UWF構想は幻に終わり、“UWF”という名の団体は、6年8カ月で幕を閉じた。

 結局、UWFは前田一人のリングス、高田がエースとなったUWFインターナショナル、藤原が代表を務めるプロフェッショナル・レスリング藤原組と3派に分裂。さらに、方向性の違いで、藤原組から船木、鈴木らが離脱し、パンクラスを設立した。一方、第1次UWFでプロレスと訣別した佐山は、新格闘技シューティングの普及活動に精を出すことになる。これがUWFのあらましだ。

 そういった背景を踏まえて、同書は書かれているが、序章でプロレス、UWFとは何の縁もない中井がいきなり登場して、「何のこっちゃ?」と違和感を覚えた読者は少なくないだろう。中井は佐山が創設したシューティングの元選手で、あの“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーと対戦したこともある実力者。幼い頃から熱狂的なプロレスファンだった中井は、中学2年のときに誕生した第1次UWFに刺激を受け、学生時代は柔道、レスリングに熱中した。UWFに幻想を抱いた若者だったが、北海道大学1年のとき、89年8月13日、神奈川・横浜アリーナで開催されたUWFの試合をクローズド・サーキットで観戦し、衝撃を受けたという。この日、組まれた高田VS船木戦は、船木が掌底で高田をKO寸前に追い込んだ。ダメージの大きい高田はコーナーマットに寄りかかったままだったが、レフェリーは船木のKO勝ちとみなさず、試合を続行させた。結局、高田がキャメルクラッチ(ラクダ固め)という、UWFらしからぬ技で逆転勝ちを収めた。この試合を見た中井は、「UWFは真剣勝負の格闘技ではなかったのか」との思いに駆られ、プロレスとの訣別を決めたと記されている。

 違和感といえば、同書における前田への低評価にも首を傾げる。佐山側から書かれた本であることは明白だが、あまりにも前田に手厳しすぎるのだ。確かに第1次UWFにおいて、佐山が果たした役割は大きく、格闘スタイルのプロレスが築けたのは佐山がいたからこそ。ただ、第1次UWFはマイナーな域を脱せず、社会現象ともいえるブームを巻き起こしたのは第2次UWF。前田は、そのエースであり、ファンの間でも“最強説”が存在した。ところが、同書で前田は、藤原のように関節技がうまくなく、キックも佐山のように強力ではなかったと断定。さらには、「対戦相手にケガばかり負わせるヘタクソなプロレスラー」というのが、同書での前田評だ。

 第1次UWFの末期である85年9月2日、大阪で組まれたスーパー・タイガー(佐山)VS前田の一戦は異様な雰囲気の中、進んだ。前田は佐山の蹴りを受けないなど、ある種、ガチンコを仕掛けたような試合だった。最後は前田が急所蹴りを見舞ったとして、反則負けが宣せられた。結局、佐山はこの試合を最後に第1次UWFから去った。一部では、まったくUWF道場での合同練習に参加しない佐山が、リング上では主導権を握っていることに不満を募らせたフロントが、前田をたきつけたとともいわれている。あたかも、前田が佐山を潰すため、急所を狙ったともされるが、実際には通常ではない前田の雰囲気を察した佐山が、早々に試合を終わらせるため、入ってもいないのに急所蹴りをアピールしたとの説もある。

 例の長州襲撃事件では、長州のみならず、藤波辰巳(現・辰爾)や外国人レスラーにケガをさせて欠場に追い込む「ヘタクソ」と断罪。これに関して、前田を擁護する気など毛頭ない。ただ、ヘタであっても、その強さはもう少し評価してもいいのではないか? あのデカい体なのだ。上に乗られただけで、対戦相手にとっては厄介な選手であることは間違いない。

 第2次UWF時代の89年10月25日、前田は新人の田村潔司と対戦した。田村は負傷欠場した船木の代役だったが、本気で向かってきた田村に激怒した前田は、顔面に強烈なヒザ蹴りを何発もたたき込み、眼窩底骨折の重傷に追い込んだとされる。同書では、この行為を「エースのやることではない」と断罪している。確かに新人相手にムキになって、ケガさせるのはよくないことだ。ただ、格闘スタイルのUWFだ。前田のことを“ぬるい試合”ばかりやっていたと酷評しているが、既存のプロレスのごとく、新人の技を受けて立っていたのではUWFではなかろう。UWFなのだから、団体のエースが新人をボコボコにして勝利するのは当然だろう。

 総じて、同書の大部分が、すでにほかの書籍や雑誌で書かれた内容を引用したものであるため、既読感が強く、新たな情報は少ないような気がする。プロレスラーへの取材はほぼなく、UWFの元フロントや関係者に聞いた話が多くの部分を占めているだけに、やや物足りなさを感じる面もなきにしもあらず。やはり、読者としては、当時の真実を知る上で、プロレスラーの話をもっと読みたいと思ったのではなかろうか? とはいえ、UWFのことを、これだけ詳細にまとめ上げるのは大変な労力で、その点には敬意を表するし、一読の価値がある本だといえよう。

 同書では、佐山が創設した新格闘技シューティングはリアルファイトで、UWFを含むプロレスはショーだとの表現が盛んに見受けられる。著者が最もいいたかったのは、その部分なのか? 日本で第2次UWFが消滅した後、米国ではUFC、日本ではPRIDEという、いわゆる「何でもあり」の総合格闘技がブームとなった。国内では、プロレスラーVS格闘家の構図に人気が集まり、あくまでも興行の核になったのはプロレスラー。Uインターでは一介の若手選手にすぎなかった桜庭和志が総合格闘技の世界でスターになれたのは、プロレスラーだったからだ。

 どの格闘技も同様だが、プロである以上、観客がいてこそ成立するものであり、エンターテインメントだ。国技である大相撲でさえ、長らく八百長が存在していたことが明らかにされた。この時代に、やれリアルファイトだの、ショーだのと論争しても不毛だし、それも含めて楽しむのが、エンターテインメントであり、プロレスだろう。ただ、単に勝った負けただけで、見ておもしろくなければ仕方がない。リアルファイトを追求しても、観客不在であれば、プロとして成立しない。

 この本で主役となっている佐山は、シューティングを追われた後、プロレス界に復帰。現在でも、リアルジャパン・プロレスの主宰者として、リングに立ち続けている。衰えたとはいえ、その姿を見て、喜んでいるファンが数多くいるのも事実。

 いみじくも、故ジャイアント馬場さんは、「シューティングを超えたものがプロレス」という名言を残した。UWFのスタイルも、総合格闘技での関節技もプロレスの一部分にすぎない。
(文=森岡剛)

1984年のUWF

ほんの一部だ

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Source: 日刊サイゾー

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